第47回 川上裕央さん 国連フィリピン常駐調整官事務所 平和構築担当官

平成25年度外務省委託平和構築人材育成事業研修員によるリレー・フィールド・エッセイ企画 第1回

常駐調整官事務所の同僚たちと

川上裕央(かわかみ・ひろたか)

兵庫県洲本市出身。2005年に慶応大学総合政策学部卒業後、朝日新聞社で記者として勤務。2012年9月からロンドン政治経済学院(LSE)大学院で平和構築について学び、国際関係学修士号取得。国連開発計画(UNDP)東ティモール事務所のガバナンス・ユニットで半年間インターン。2014年4月より国連ボランティア(UNV)の平和構築担当官として、フィリピンの国連常駐調整官事務所(UN Coordination Office)に勤務。

1.はじめに

私はフィリピンの首都マニラにある国連常駐調整官事務所で平和構築担当官として働いています。現在のポストは、外務省の平和構築人材育成事業本コースの研修員(日本人は15名)として与えていただいたものです[1]。本稿は、同コースの研修員によるリレー・エッセイの初回にあたり、これから様々な国連機関のフィールドからレポートが届く予定です。私のエッセイでは、第一に国連常駐調整官事務所の役割と職務内容について、第二にミンダナオにおける平和構築の現状と国連機関の関わりについて、報告します。

2.常駐調整官事務所とは

国連常駐調整官(RC: UN Resident Coordinator)は、国連事務総長の代理として、また国連世界食糧計画(WFP)や国連人口基金(UNFPA)などの現地代表で構成される国連国別チームのリーダーとして、駐在国の開発分野に関する活動の全般的な責任を負っています[3]。現在、フィリピンの常駐調整官は、ブラジル出身のルイーザ・カルヴァルホ氏(Dr. Luiza Carvalho)。大学教員やコスタリカの国連常駐調整官の経験を持ち、3人の子どもを育て上げ、スタッフから母親のような存在として慕われています。彼女はUNDPの常駐代表も兼ね、台風ハイヤンをはじめとする自然災害や紛争などの人道危機に対応する人道調整官も務めています。国連国別チームには、国連機関に加えて、世界銀行(WB)やアジア開発銀行(ADB)、国際移住機関(IOM)などを含めた22人の代表が名を連ねています。私の勤務する事務所は、常駐調整官と国別チームの仕事をサポートする役割を担っています。専門ごとに分かれた秘書集団と捉えて頂くと分かりやすいかもしれません。

4月下旬に赴任して最初の仕事が、地図の作成でした。当時、国連国別チームは、フィリピン国家経済開発庁(NEDA: National Economic and Development Authority)との定例会合を目前に控えていました。同庁は、フィリピン開発計画(2011-2016年)[4]の中期見直しで、貧困世帯の総数、貧困発生率、洪水や地すべりなどの自然災害に対する脆弱性という、3分類ごとに計50州を優先地域とする開発戦略を発表しました。この政府の方針に対して、国連がどのように応えていくかが最も重要なテーマでした。国連も過去に重点地域を定めていたことから、「議論のたたき台として地図を作ってみましょう」と、常駐調整官が提案しました。すなわち、フィリピン政府が決めた50州と国連が決めた重点地域は、どこが重複し、していないのか。50の各州で、どの国連機関がどんなプロジェクトを実施しているのか。これらの情報をすべて地図に落とし込むことで、援助の方向性について、より具体的な議論が可能になるとの狙いがありました。

私がこの地図を作成する仕事に取りかかった時点で、最初に地図が使われる準備会議まで2週間を切っていました。あいにく国連機関にいる地図のプロたちは他の仕事で手一杯で、アドバイスはくれても、実際の作成に力を貸してもらうことはできませんでした。これから適当な人材を見つけて採用し、決裁にかかる時間も、と考え始めたら、とても間に合いそうにありません。あわてて地元の大学や専門の教授らに端から電話をかけて、地図を作れる卒業生を紹介してほしいと依頼するも、いい返事は得られません。1日また1日と締め切りが迫り焦っていたところ、国連児童基金(UNICEF)の同僚から「以前頼んだコンサルタントは信頼できる人だよ」と助け舟を出してもらい、何とか採用に漕ぎ着けました。

NEDAとの定例会合で発言する常駐調整官のルイーザ・カルバルホ氏。隣はアルセニオ・バリザカン長官

ようやくコンサルタントと二人三脚の地図づくりが始まりました。毎日何度も連絡を取り合って、データの中身と地図の意図を説明し、実際に作ってもらっては、上司や各機関の担当者にチェックしてもらいました。データの追加など各機関からの修正依頼も相次いだため、何度も作り直しをお願いすることになりましたが、辛抱強く付き合ってくれて、本当に助かりました。結局、計6枚の地図ができ上がったのは、準備会議当日の午前4時。会議直前に、上司のプレゼンテーションのスライドを入れ替え、手元の資料として印刷し終えた時は、心底ホッとしました。地図は、後日の定例会合でも、常駐調整官のプレゼンテーションに活用され、開発庁長官との意見交換でも取り上げられました。紛争後まもない国とは対照的に、7%超のGDP成長率を誇る中所得国で、世界各地に人材を供給し、政治的にも安定してきたフィリピンにおいて、国連が将来にわたって貢献できることは何か。政府の開発計画に沿って、足りない部分を補うような役割を担うべきか。独自の査定に基づいた介入のあり方も模索していくべきか。会合の前後を通じて、国連が行う援助の根幹に関わる議論が活発に続き、その一端を担えたことは大変良い経験になりました。

コンサルタントと作った地図は常駐調整官のプレゼンテーションで活用された

3.バンサモロ開発計画の策定

ミンダナオ島を含むフィリピン南部には、かつてスルタン[5]を擁するイスラム教の王国が存在していました。16世紀のマゼラン来航に始まる、スペインによる植民地支配とキリスト教化を境に、「モロ」と呼ばれるムスリムたちの抵抗の歴史が始まります。19世紀末にスペインから領有権が移った米国に対しても戦いは続きました。第二次大戦後は、ルソン島やビサヤ諸島から農地を求めて入植してきたキリスト教徒たちへの反発が強まり、フィリピンからの独立を目指すイスラム教徒たちと政府との間で1960年代から紛争が始まりました。

2001年にモロ・イスラム解放戦線(MILF: Moro Islamic Liberation Front)とフィリピン政府の間で和平交渉が始まり、交渉中断や武力衝突を経ながらも、今年3月に包括和平合意が結ばれました。和平プロセスでは、日本政府が仲介し、2011年8月にはベニグノ・アキノ3世大統領とMILFのムラド・エブラヒム議長のトップ会談が成田で開催されました。平和構築の分野でもJ-BIRD (Japan-Bangsamoro Initiatives for Reconstruction and Development[6])の名でミンダナオ支援を継続しており、国連にいながら日本の存在感の大きさを感じています。

包括和平合意は、MILFが武装解除するのと引き換えに、政府がバンサモロ(モロの地)と呼ばれる自治地域を創設することが主眼です。6月末現在、バンサモロの新自治地域の設定に向けたバンサモロ基本法案の国会提出に向けた準備が進められており、法案成立後はバンサモロの構成地域を定める住民投票が実施される予定です。現行のイスラム教徒ミンダナオ自治地域(ARMM: Autonomous Region in Muslim Mindanao)が廃止され、バンサモロ暫定移行機関の設置を経て、2016年にバンサモロ自治政府が発足する見通しです。

3月にマニラ大統領府で開かれたミンダナオ包括和平合意の署名式 (国連フィリピン常駐調整官事務所提供)

これらの移行期間を含めた2019年までの復興・開発の青写真を描いた「バンサモロ開発計画」も策定に向け、最終段階に入っています。この計画には、バンサモロ開発庁の要請に応じて、国際機関やJICAをはじめ各国の開発援助機関が協力しています。国連機関は、分野ごとに専門家を派遣し、現地調査を行い、政策提言の提供を通じ、計画の策定に参画しています。UNDPがイスラム法体系、国連ウィメン(UN Women)がジェンダー、国際労働機関(ILO)が雇用と生計といった具合に、様々な国連機関が各々の専門性を発揮しています。

その中で、私は国連とバンサモロ開発庁との連絡役を務めています。同庁やJICA、世界銀行などからなる開発計画策定のためのコア・チームの会議に出席し、同庁からの要望を常駐調整官や各国連機関に報告する一方で、国連機関が請け負った仕事の進捗状況や今後の支援の可能性について同庁に伝える役割です。私の前任は、紛争後国での勤務経験が長いシニアな立場にいた方だったため、私に代わったことで、同庁との信頼関係を損ねたり、国連による援助の可能性を狭めたりすることがないようにと、心がけています。また、各国連機関の担当者と専門家を合わせると、30人以上がバンサモロ開発計画に関わっているため、意思疎通や情報共有に支障がないように、関係者の連絡先をリストにしたり、イントラネット上で資料をシェアできるようにしたりと、バンサモロ開発庁と国連機関がよりスムーズに協力できる環境作りに取り組んでいます。

各機関の専門家たちによるレポートに目を通すと、主権国家の1つの地域における新しい自治の仕組みが、人々の暮らしやアイデンティティに至るまで、大きな影響を与えていくことが、目に浮かびます。バンサモロの地域は、40年以上にわたる武力紛争に苦しみ、フィリピン国内でも最も貧しい地域とされてきました。今後の平和構築の取り組みが、ミンダナオの永続的な平和と社会・経済の持続的発展につながるように、私も微力ながら積極的に仕事に取り組んでいきたいと考えています。

4.最後に

本稿を通して、常駐調整官事務所の役割と仕事の一端について、また、ミンダナオで進行中の平和構築の取り組みについて、少しでも関心を持っていただけたら幸いです。私にとって、常駐調整官事務所で働く魅力は、国レベルでの国連全体の戦略・方針の決定に関わることができること、組織を超えた幅広い分野の援助について情報を得られる立場にあること、常駐調整官や現地代表らのリーダーシップに触れる機会が多いことが挙げられます。今後はプロジェクトの形成にも関わり、より現場に近い形で、ミンダナオの平和構築に携わりたいと考えています。

台風ハイヤンの被災地の子どもたち(国連フィリピン常駐調整官事務所提供)

私が平和構築の仕事を通じて、国際平和に貢献したいと思い描くようになったのは、10代前半まで遡ります。ずっとその思いは抱いていたものの、本格的に行動に移すまでには長い年月がかかりました。新卒で就いた記者の仕事にやり甲斐を感じ、少年の夢に挑戦すべきか、毎日のように悩みました。そんな頃、取材先で偶然に平和構築人材育成事業の修了生の講演を聞きました。同事業には、記者経験者が毎年参加していることも知りました。国際機関のフィールドで働く経験を積めることも魅力的でした。いつか決断したら、この事業に是非とも参加したい、そう心に決めました。

実際に参加した同事業は、期待を上回るものでした。1月末から広島・東京で5週間の研修を受け、国連職員を中心とした一線の講師陣から、他では考えられない、手厚い指導を受ける機会に恵まれました。そして、何よりも、同じ志を持った同年代の研修員たちとの出会いは、掛け替えのないものとなりました。世界各地のフィールドで頑張っている仲間たちの存在は、私にとって大きな励みとなっています。平和構築分野でのキャリアを希望される方は、同事業への参加を選択肢の1つとして、ぜひ検討してみてください。私は、政務・ガバナンスの分野を中心に平和構築に長く携わっていきたいと希望しており、常駐調整官事務所で培った知見や経験を将来に生かしていきたいと考えています。

最後になりましたが、今日に至るまで、私は数え切れないくらい沢山の方々にお世話になりました。この場を借りて、心より感謝申し上げます。私はまだスタートラインに立ったばかりですが、次に続く方たちに「ペイ・フォワード」できる人間に1日でも早くなれるように精進したいと思っています。

<注釈>
[1]事業の詳細については、以下のウェブサイトをご参照下さい。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/peace_b/j_ikusei_shokai.html
[2]本稿は、2014年6月末時点での情報をもとにしています。なお、筆者個人の経験と考えに基づいて書かれたもので、所属組織の見解を代表するものではありません。
[3] 国連常駐調整官と国連国別(カントリー)チームについては、以下のサイトで詳しく説明されています。
http://www.pko.go.jp/pko_j/organization/researcher/atpkonow/article017.html

国際スタッフは他にスペイン人とアメリカ人。
私は現地スタッフによく間違えられます(笑)

[4]フィリピン開発計画:汚職と貧困の撲滅を掲げるアキノ政権下において、国家経済開発庁を中心に策定された。目標として、貧困層まで包摂させるよう雇用を創出し、貧困削減につなげるという経済の「包摂的成長」が掲げられている。
[5]スルタン:イスラム教における君主号のひとつ。アラビア語で「権力(者)」「権威(者)」を意味する。「国王」「皇帝」などとも訳される。
[6] J-BIRD:ミンダナオ紛争影響地域の平和と安定に向けた日本による社会経済開発支援の総称。これまでに道路等のインフラ整備、人材育成、学校・病院・水道・職業訓練施設等の建設・整備を通じたコミュニティ開発等の分野で総額150億円以上の支援を実施している。

(2014年8月3日掲載、担当:花村百合恵・廣本のどか、ウェブ掲載:高橋愛)